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Beethoven【1】・・・Journey [ピアノ]

                        
 日曜の朝、メールをチェックしているとその中にロスアンゼルスに住んでいる妹からのものがあった。

 その妹は8年前に勉強に行くといい3か月くらい日本で英会話を習い、日常会話も心配なレベルでありながらロスに飛んで行ってしまった。彼女とは小さい頃から仲が良いような、喧嘩ばかりしているような関係。しかし、面倒見の良さは誰にも負けない、かつ正義感に強く三人姉妹の中でも突出して女らしくない?一面もある。まだ、妹が小学か中学の頃、遊びにきていた友人が、私の家の階段の上から下の踊り場の玄関の床に転げ落ちたとき、その友人は大けがをしたのだが、パックリ、と切れた傷口を私は気持が悪くて見ることも出来ないでいたのに、妹はありとあらゆる処置を行っている。父と母が夫婦喧嘩をしていると私や一番下の妹は黙っているのだが、次女は仲介にはいったり、挙句の果ては止めにはいり自分もまきこまれてしまうこともあった。こんな話は挙げたらキリがない。
 ロスに行ってしまう直前は私と妹の間にある確執(大した問題ではない)が生じ、私は浜松でのコンクール本選会の日程と重なってしまったこともあり成田に見送りにも行かなかった。その確執とは、今思えば私の側に問題があったのだが、修復する間もなく遠いロスにいってしまったのだから、関係を良くする時間がずっとなかった。その妹はすぐ下の妹で(5歳下)私にはあと一人10歳離れた妹がいる。次女と三女はメールなどで連絡を取り合っていたようであるが、私は一切そんなことはなかったし彼女もそうしたくなかっただろう。久々に日本に帰ってきてもほとんど会うことはなかったくらい。日本からロスに行き、何年か経つと妹はアメリカ人の男性と知り合い、めでたく結婚し今はどうやら幸せに暮らしている。4~5年前にその旦那様と妹が日本に来た時、三女夫妻の家に彼らは一か月ほど滞在したが一晩だけ大勢の親戚の集まる中私も参加した。私が会話をしたのは次女ではなく次女の旦那様。英会話の勉強だった。なにしろその旦那様は友人も連れてきており、私にとっては格好の英会話の訓練の場となった。一晩中、飲みながらも英語で話した。「是非、ロスに来てほしい!あちらこちらに案内をしたい・・・・」という会話で終わり、名残惜しく私は自分の家に戻った。
 そんな妹となんとなく確執がなくなったきっかけがある。それは、私の結婚。昨年、主人と結婚をするにあたり、お互いに一番近い親族を招待し結婚披露パーティーをすることになった。それにあたり、ロスの妹に招待状を送った。まさか出席するなどとは考えてもいなかった。どうしたのか私に連絡が入り、出席したいから・・・とのこと。嬉しかった。
 めずらしく会話をしたのは結婚披露パーティーの場。お互いに昔と同じ口調だった。三人が集まったのも本当に久しぶりだった。
 めでたしめでたし・・・と思ったのも束の間。彼女は婦人科系の病気になりその手術を結婚披露パーティーの後にすることにもなっていたらしい。知らなかった。手術のための入院手伝いをすることが出来なかった。手術後、彼女を見舞に行った。「手術中、麻酔が効かず激痛だったよ。術後も痛くて痛くて・・・・」と自分の体を動かすことすら出来ず泣きながら話した。「おねえちゃん、頼みがあるんだけれどロスにいるモイ(旦那様のニックネーム)がすごく心配しているから英語でメールしてくれる?大丈夫だからと・・・」「もちろん!」
 そして、「こんな痛みや苦しみは私だけで十分・・・」という気持ちを彼女は私と母に話した。同じ女に生れて、母は3人の子供に恵まれそれなりに痛みを味わった。私は未だ妊娠・出産の経験もなく婦人科系の病気の疑いがあると判明して1年が過ぎるが、そこまでの痛みを経験していない。彼女はもう何年もモイとの子供が欲しくて努力してきた末の出来事らしく、心から悲しくなった。病床での彼女の気持ちは、私の知る妹の範囲を超え、私たち3姉妹に子供が出来ずどうにか自分だけでも現代医学の力を借りて子孫を残したいと努力を続けてきた結果の病とのことだった。以前にも妊娠出来るようにと日本で手術をしていたことがあるがそれには相当の痛みを伴い(個人差はあると思うが妹の場合は毎度苦しんでいた)私は見ていられなかった。私自身、そこまで自分の体を痛めつけてその努力をすることが出来ないのではないかと自分の弱さを感じた。運命の定めか私たち3姉妹には子供がいない。私も、次女もそして三女も個々に会うたびにその心境を語ることもある。

 そんな3人ではあるが、それぞれ仕事を持ち世の中に貢献できていると思う。次女はロスでまたまた面倒見の良さから旦那様の会社を支え、それと共に若い学生たちの生活を助ける仕事をしている。三女は結婚後、それまで勤めていた会社の要所部門を惜しげもなく去り、地元ロータリークラブの仕事を始め契約仕事以外もひっぱりだこで年に一度は海外の出張もある。このことは三女の旦那様も大いに理解をして仕事をさせてもらっているのだが、その旦那様の食事管理やら少し心配になることもある。私が心配しても仕方ないが・・・
 
 ロスからのメールには[LAでの演奏会、会場の担当者が是非・・とのことで実際の演奏を聴いてみたいからCDを至急送ってほしい。ヨーロッパでの演奏活動の内容も詳細に知らせてほしい]との内容。妹は、私の演奏を気に入っているかどうかはわからないが、いずれにしても実家で暮らしていたころの私の練習を日々見てきた人間であるから、母親同然の視点で話せるのは事実。先月に連絡があり、ロスで演奏会をして欲しいと事前に話はあったがそう簡単にことが進むとは全く考えてもいなかった。
 その間、彼女は実際に行動にうつしていたのだ。まったく驚いた!
 メールを読み早速時差を考えて電話をかけた。明るい声できびきびと話す。「お姉ちゃん、CDに変なプログラム入っていないでしょうね?お姉ちゃんのことだから、また素人受けしない作品とか入れているんじゃないの?大丈夫?」・・・・「大丈夫だよ。全部ベートーベンだから。アパッショナータもテレーゼも入って一応ソナタシリーズ。おまけにエリーゼのためにも入れたよ。」と話すと「えっ!?エリーゼ???なんで?」
                             
 私は、エリーゼのためには自分の人生で人前で演奏することなど毛頭考えてもいない人間だった。が、昨年冬、本を読む時間が沢山出来たころ、ベートーベンに関する書籍に集中した。ベートーベン存命中、彼は周囲から破天荒で無茶苦茶な男というイメージをつけられていた一面がある。その中1810年に書かれたこの作品が当時彼のピアノの生徒であったテレーゼという女性のために書かれたものの死後40年の時が過ぎてから出版されその後今に至るまで全世界の名曲とされている。そのテレーゼのために書かれたという説にはいろいろとあるが、とにかく女性と縁のなかった彼が残したこの小品がどうしてこんなに誰にでも受け入れられるピアノ作品となったのだろうか。楽譜を原典版で見つめていると、何か傷心まみれの言葉にならない男の性を感じた。日常ピアノの生徒たちによく使われている楽譜にはmfやf、p、その上クレッシェンドなど多数の表情記号が印刷されているが原典版にはppから始まり途中なにも指示がなく、ふたたび書かれている記号はpp。ベートーベンはボン時代やウィーン台頭期にももちろん強弱記号等書き込んでいるが、中年期以降、表情記号や樂語をさらに細かく書き込むようになる。晩年、孤高的様式期にはドイツ語で作品の冒頭にかなりの長い文章で指示を書くことにまで発展している。このエリーゼのためにはまさにその中年期に書かれたもの。そのころの他の作品の譜面と比べてみても原典版に書かれているppのみの表示は彼の強い気持ちで書かれたと私なりに解釈した。1810年前後の作品には感情を樂語や記号を使い細かく提示されているものが多い中にポツリと一曲だけこうした作品があるのだ。知られている演奏やよく使用されている楽譜とは違う・・・原典版の彼の指示通りに弾いてみた。全然、違う・・・ダイナミックな表現などする余地もなく、ひたすら音符の中にだけ感情が込められて書かれているのだ。彼が生きている間にこの「エリーゼのために」が出版され演奏されることがあったら、彼に対する世の中の見方も大分違っただろうに。デリケートな孤独男性の心が痛いほど伝わってくる。彼の性格をあらわす重要な一面が表現されていると思う気持ちが沸々と湧き上がってきた。それが演奏してみようと思った大きなきっかけであった。
 生徒たちに「もっとクレッシェンドをして盛り上げてみたら?」などと言っていた私はウソつき先生だった。後から他の人間によって加えられた要素も華々しく作品を飾るという点ではよいかもしれないが彼が聴いたらどう思うだろうか?それも良いではないかと共感するかもしれないし、そうではない!と怒りまくるかも・・・・・・「誰が、そう弾けといった!」と鍵盤を叩くかも。ベートーベンの形相が目に浮かぶ。
 
 そんな思いの中にCD制作のプログラム構成の時期を迎えていた。当初はピアノソナタ集として考えていた。が「熱情ソナタ」周辺を研究してみると微々たることでも多くの発見があった。
 その結果ピアノソナタ第23・24・25番、作品番号でいうとOP.57「熱情」OP.78「テレーゼ」OP.79「かっこう」という中にOP.77「幻想曲」を加えさらに同年代に書かれた「エリーゼのために」を最後に収録した。
 ここで余計なことかもしれないがもう一つだけベートーベンの作品を発見し収録したことを書いておきたい。このCDの冒頭に「前奏曲 ヘ短調」を入れた。1803年に作曲され、「熱情ソナタ」の直前に書かれたと思われる小品である。「熱情」がヘ短調で書かれているのだが同調で始まる「前奏曲」を前菜のように取り入れてみた。駄作と言ってしまえばそれまでだが、バッハの平均律のプレリュードのある1曲に形式がよく似ている作品である。ボリュームのあるソナタ集の前にチョイと小腹にいれるチョコレート役。

 この録音は今年、年頭から3回の取り直しを行い7月に完成。私のいう取り直しというのは、録音技師が予期せぬことで、最終テスト版が送られてきて自分の耳で聴くと嫌な演奏。取り直したくなる演奏。ミスがどうしたこうしたではなく、もっとベートーベンらしく!と追及。音色の問題。関係者にはもう終わった!と思われていても電話一本で「すみません。取り直します。」ということの繰り返し。主人曰く、「産みの苦しみ!」まさにその言葉通りだった。ベートーベンの作品を私なりに産むという仕事だった。さすがに3回目の録音現場では頭と精神のバランスを崩しそうになった。いや、崩したと言った方が適切。事実、録音が終わり、その後1か月は演奏活動があったからピアノを弾いたが6月から8月までガス欠状態でピアノに向うことが出来なかった。最終録音の際、「熱情」の3楽章を録音し終わった瞬間、動くことすら出来なかった私に録音のU氏が「ベートーベンが上から降りてきましたよ!」と静かに話した。そこで録音作業は完結した。

 今朝、ベートーベンCDはアメリカ・ロスアンゼルスに向けて飛んで行った。我が子が異国の地に出かけて行ったような気分。録音では倒れそうになる私を主人やスタッフに支えてもらい、今度はそのCDが妹の提案によって旅に出ることになった。英語圏でも通用してね!!私のピアノ・・・♪♪♪


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