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青森での楽しみ [旅]

 幼少のころから中学になる前まで、夏休みとなれば祖父母がいた青森の家に1か月滞在し伸び伸びと過ごしていた。上野駅から寝台列車で10時間くらいかけて青森へ行くのが楽しみだった。2段ベットのときもあったが5人家族なので3段ベットの寝台列車のことが多かった。狭いベットだったが揺れながら眠りにつくのが心地よかったし、途中、盛岡の駅で父と駅のお蕎麦を食べるのも普段出来ない食事で美味しかった。普段住んでいる関東とは違って、山にかこまれた青森市の夏は暑いとは言ってもわりと清々しいし、何よりも食べ物が美味しいことを子供ながらも感じて楽しんでいた。もちろん“ねぶた”は当たり前。あの迫力を知ってしまうと、こう言ってはなんだけれど他のお祭りが少々物足りなく思うのは今でも同じ。
 中学からはなかなか青森へ長期滞在をすることが難しくなった。私は5歳づつ年の離れた面白い年齢間隔の3人姉妹の長女。私が小学時代までは次女、三女も一緒に母と青森へ出かけられたが、さすがに三人姉妹が成長してくると親も大変だったであろう。青森への大移動にもいろいろと負担が出てきたり、三人の習い事をそれぞれひと月もお休みをしたりしなければならないことから足が遠のいた。
 二十歳を過ぎると自分の時間を作って一人で青森の祖父母の家に出向いたが、祖父母もだいぶ高齢になり一緒に奥入瀬にドライブなどはもう出来なくなってしまった。それでも、ゆっくりと過ごさせてくれて必ず朝食をしっかりと用意してくれた祖母には感謝している。その朝食は、緑黄色野菜は必ずありパンとコーヒーとりんご。祖父母と3人でゆっくりと朝食の時間をとった。それが青森の滞在での習慣だった。
 朝食の後には、これも子ども時代と変わらずお約束事で祖父母の家の全館の清掃を担当させられる。まず、はたきをかけて掃除機、本棚や家具のほこりを布でふき取り、床の水ぶき。玄関の土間の水ぶき。もちろんトイレの掃除。徹底的に祖母の監督のもとおこなわれる作業。私は、特別にそれが嫌いと思わなかった。7つの部屋があり、めずらしく洋風の造りの家はほとんど床そうじが水ぶき出来る家だった。畳だとそうはいかないけれど。
 朝食と大掃除が済むと自由時間。夕方まで一人であちこち出かける。当時、車の免許はまだ持っていなかったから、移動はすべて電車かバス。1週間も滞在していると、市内の各所はだいたいどこに何があるかわかってくる。自分の住んでいる町と同じ気持ち。なにしろ小さい時から来ている町だから思い出が沢山つまっている。青森駅の前に市場がある。その市場には毎日、魚を見学しに通った。それと串に魚を刺して焼きたての魚が売られているのを見るのが大好きだった。冬などは市場の通路が冷たく足もとが冷え関東で買い物をしていて感じることのできない感触。働いている人は大変だろうに・・・

 20代半ばから私の様々な環境の変化により青森にそう度々出かけることが出来なくなった。
そして2001年から昔とは打って変わって、ピアノの演奏会のために青森へ出かけることが多くなった。打ち合わせや本番など含めると年に4~5回は最低行っている。昔のように寝台列車の時代だったらこんなにも通えることは出来ないが何しろ羽田から1時間飛行機に乗れば到着。新幹線でも八戸での乗り換えはあるものの所要4時間。
 そうこう青森へ通うことになったその間に祖父母は亡くなってしまった。2002年には二人とも車いすで決して元気という状態ではないのに演奏会を聴きに来てくれた。それが私から祖父母に聴かせることが出来た最後の演奏会。
 その後、青森での音楽の友人も出来始め、ジョイント形式のコンサートにも参加させて頂けることが多くなってきた。叔母の交友関係とも知り合いになったりして一人の青森の旅もたいくつをすることがなくなってきた。何しろ青森に出かけると忙しい。毎度帰りの飛行機や新幹線に間に合うかどうかわからないくらい。そんな中、昔と変わらずどうにか時間を作り市場に行く。ところが、時代は変化し以前のような市場ではなく“アウガ”という商業ビルの地下に市場があるのだ。そうなってからもう5年くらい過ぎたのだろうか?夕方には閉店してしまう魚屋。昼間は私が多忙。というわけでどんなに眠くても二日酔いでも朝、頑張って起床して“アウガ”の地下に出かける。ある時、関東での干物とはちょっと違う干し方、味の魚を売る専門の店を見つけた。早速、宅配便で自宅に送ってもらうことにした。
 ほっけ、からすかれい、にしん、鮭、油かれい、すずきのかま、さけのはらす、つぼだい等々。食べてみるとなんとも美味しい!!魚のもつ脂肪分を上手に生かして乾燥しすぎず風味も生の状態より良く、もちろん生の魚ではないから沢山購入しても冷凍保存が可能。それから、もう何度そのお店に通ったことだろう。その店の店主は女性でこれまた美人。私は女だけれど、本当に津軽美人で惚れぼれしてしまう。一度会ったら忘れることの出来ない顔立ちだと思う。事実、市場とは方向の違う交差点を歩いていた時にその店主とすれ違う直前にお互いに気がついて「あれ~?青森にきてるんだぁ!」と津軽弁で話しかけられた時すぐにあの店の人だとわかったくらい。そんな単なる一人の客と店主との関係だったが毎度店に寄るたびに覚えていてくれる。ところが今年は2月から何度も青森へコンサートのために出かけているが、市場の定休日や私のとんぼ帰りなどがたて続き、その店に行くことが出来なかった。最後に顔をだしたのはたぶん昨年の秋。この9月末にコンサートが済んで翌朝、ホテルの朝食をとる前に市場に向かった。久しぶりに店に顔を出したら「どうしてたのかとずい分心配してたよ!ずっと会ってないもの・・・」と少し驚いた様子でもあったが話してくれた。魚を選びながら、店主は今まで私に尋ねなかったのが不自然と思うくらい「なんでこんなに青森に来るの?」と聞かれた。何年間、通い続けただろう。それまで店主と会うと宅配の送り状が関東だから地元の人間でないことはわかっていただろうけれど、やはり不思議だったのか。いつも「電話くれれば送るよ・・・」と商売セリフのように言われていたが私は「ここにきて選んで買いたいしこの店に来るのが楽しみだから・・・」と言い続けてきただけ。さすがに今回は「何の仕事で来てるの?」という質問に「ピアノを弾きに来ているんだよ!」と言ったら、「そっかぁ・・どうも雰囲気がなんか違うと思っててさ、いつも何をやっている人なんだろうって思ってたんだ!!!」
 

 とうとう明らかにしてしまった。11月にある青森でのコンサートのチラシを一枚さしあげてきた。そこにはもちろん私の顔写真も入っている。これからもっと気楽にその店に行くことができるようになったような気がする。
 来月、その店に行ったら聞いてみようと思っている。「どうしてここの魚はこう美味しく干されているのか?」我が家の食卓にその魚が上るたびにいつも聞いてみようと思っているのだが、店にいくと目の前にある美味しそうな魚に心を奪われ店主との会話に夢中になり、その疑問を口にすることを忘れてしまうのだ。宣伝するつもりは毛頭ないが、斉要商店という店。これからもずっと斉要商店に通えますように・・・それから、人気でなかなか入れない六べえという地魚を食べさせてくれるお店。毎回、ドアをあけると「席がいっぱいで何時間待ってもだめだよ~」と断られ今まで一度しか行くことが出来ていない。予約制ではないし席数もごくわずかな裏通りの地下にある小さな店。開店の時間にはいつも行けないから、ダメでもともとと思い出向くのだが・・・ここにももう一度行ってみたい。何のために青森へ行っているのだろう・・・♪♪♪


 
  


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